人生は一度きり、という言葉をよく見かける。それが真理かどうか、確認できる人は一人もいないのに、「1+1=2」と同じくらい、真理と疑うことがない人がほとんどである。
生まれる前のことと、死んだ後のことは、誰にも認識することができない。だから、あなたは生まれる前に江戸時代の殿様だったかもしれないし、ヨーロッパの奴隷だったかもしれないし、ジャングルの毒虫だったかもしれない。輪廻というものである。あるいは、ニーチェの永遠回帰よろしく、全く同一の人生のちょうど一兆回目かもしれない。
私はこのようなことを常々考えてしまうから、人生が本当に一度切りで、この人生が終わったら二度と生まれることがないのであれば、それはどんなに良いことだろうかと考える。人生は一度きりという言葉が真理であると仮定した場合に、普通の人は一度切り「しか」ないから精一杯楽しもう、という風に考えるのに対し、私は一度切り「で」終わるからなんとかこの人生はやり過ごしていこう、終わればもう繰り返さなくて良いのだから、という風に考えることになる。
以上の説明から、人生は一度きり、という考えは、信仰に似ているということに気付いた方もおられることだろう。神はいるかいないか証明できないが、いないことを証明することができない以上、いると信じて生きていこう。死んだ後に天国に往けると考えれば、この人生をより良く生きていくことができるだろう。人生は一度きり、と考えて生きることも、それを普通の人の解釈で捉えるにせよ私のように捉えるにせよ、同じようなことが言えるだろう。
だから、人生は一度きり、と信じることが無意味だとは言えないし、そう信じている人を馬鹿にするつもりもない。だが私は無垢に信じることができない。占いやパワースポットといったものを自然に受け入れる人がこの言葉も信じる傾向にある気がするが、それは偏見だろうか。