生まれることと生まれないことの非対称性について

反出生主義

 生まれなければ苦しみはない。これは間違いない。

 生まれなければ幸福はない。これも間違いない。

 このことからすると、生まれないことにはメリットもデメリットもあるのだから、生まれない方が良い、とは言い切れないようにも見える。

 ではあなたに聞くが、宇宙が誕生してから130億年以上、あなたは生まれていなかったのであるが、何か問題でもあっただろうか?

 もしあなたが、「生まれた場合には幸福を享受しうる可能性があるのだから、産むべきではないと主張する者は、人が幸福を享受する権利を奪っている」と主張するのであれば、130億年以上も生まれていなかったあなたは、甚大過ぎる権利侵害に対して毎日やり場のない怒りで満たされながら暮らしていることだろう。

 結局のところ、生まれていなかったことで問題があった、などということはあり得ないのである。「問題」を享受する主体が存在しないのであるから。つまり、生まれなければ幸福はないのは確かにそのとおりなのであるが、実はそのことは何の問題でもなく、デメリットとは言えないということになる。

 だが、生まれたくなかったと思っている人間や、人生が辛いと思っている人間は少なからずいるわけである。つまり、生まれることで問題が生じることはある。

 以上をまとめると、生まれることにはメリットとデメリットがあるが、生まれないことにはメリットはあってもデメリットはない、ということになる。生まれることと生まれないことは非対称なのである。前回、反出生主義に対して唯一正当性を持ちうる反論として、「生まれれば幸せになることができたかもしれなかった人間が、生まれなかったことによって、その幸せを享受することができなくなってしまうと言えるのではないか」というものを挙げたが、それに対する反論としては、「それで何の問題もない」ということになる。

 以上のような非対称性の考えを、私は子供の頃から感覚的には感じていたが1、哲学者のベネターが見事に言語化してくれて感謝している2。何としても誕生を素晴らしいものだと妄信的に肯定したがる思想家達は、屁理屈をこねて彼が見事に言語化した真理を否定しようと躍起になっているようであるが。

  1. 小学生の頃、冬の寒い朝に学校に行くために、眠くて寒くて仕方がない状態で早起きをするのが辛く、「生まれたからこんな思いをしなければならなくなった」とか、「〇〇年(※私が生まれた年)より前は別にこんな思いをしなくて良かったのに」ということをなんとなく感じていた。学校は楽しかったし、「反出生主義思想」などというほど深刻なものではなかったものの。また、20歳を過ぎてからはずっと「生まれたくなかった」「この人生が終わったら二度と生まれませんように」と思いながら20年程生きてきた。 ↩︎
  2. 参考文献
    「David Benatar , Better Never to Have Been : The Harm of Coming into Existence,
    Oxford University Press , 2006」
    日本語訳書:「デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった―存在してしまうことの害悪』初版、小島和男・田村宜義訳、株式会社すずさわ書店、2017年」
     なお、本文で述べたことは私が感じていたことを、ベネターの非対称性の考え方に着想を得て言語化したものであって、ベネターの非対称性の考え方そのものではない。反出生主義思想をきちんと学びたければベネターを読まれたい。ベネターによって非対称性という考え方を初めて知ったときは、「生まれなくて別に何の問題もなかったんだけど」と思い続けてきた私が、言うなればいくつもの病院で原因不明と言われ続けてきた体の不調にようやく診断名がついた人のように、安堵と清々しさが合わさったような気持ちになったものである。 ↩︎
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