産むことが否定された場合に、真っ先に想定される反論としては、「産みたい人間の権利を侵害する」というものだろう。私は反出生主義の基礎的な考え方として、「自分がされて嫌なことを他人にしない」という倫理があると述べたが、先の反論は「自分が人1に対してしたいことをしたい」という自分の欲求に基づいているに過ぎない。つまり、利己的な考えなのである。
一方、反出生主義は、自分のために産まない選択をするのではない。産まれる側の立場に立って、産むべきではないと考えるのである。つまり、利他的な考えである。
先の反論は、「自分が」産みたいから産むのであって、産まれる側の立場に立って、産むべきだとか生まれた方がいいだとかを考えているのではない。「自分は幸せな人生を生きてきたから、この幸せを将来生まれる我が子にも味わわせてあげたい」と考える奇特な人が絶対にいないとまでは言い切れないが、産む動機としては、自分が産みたいという利己的な動機がほとんどであることは間違いない。そうであるから、先の反論に対しては、「あなたの欲望のために他者を利用することに正当性はない」と反論できることになる。
次回もまた、別の反論とそれに対する反論を述べることとする。
- 産もうとしている客体、つまりまだ生まれていない我が子、を指していることはそろそろ言うまでもないだろう。 ↩︎