産むことの否定への反論とそれに対する反論②

反出生主義

 産むことが否定された場合に考えられる他の反論としては、社会を維持することができなくなる、というものが有力だろう。ちなみに、「ひいては人類が滅亡するなんてとんでもない」という意見も当然に想定されるが、人類が滅亡してはいけないとする正当な理由などあり得ない1と私は思っているので、人類滅亡に対する反論は今のところ検討するつもりがない。

 社会を維持できなくなるから子供を産むべきだ、とか、産むことを否定すべきではない、というのは全体主義の考え方に過ぎない。要するに、産まれる人間を社会の駒、と考えているだけなのである。最近ロシアで、子供を持たない考えを発信することを禁止する法律ができたが、それは兵士の数を維持するためであり、社会が維持できなくなる、という反論と全く同じ発想によるものである。その他、反出生主義思想に反論する思想家たちの主張をいくつか目にしたことがあるが、やはり結局は同様の全体主義に過ぎないものばかりであった。

 産むことの否定への反論として正当性を持ちうるのは、産まれる人間にとって、生まれないよりも、生まれた方がよい、と言えるような反論しかあり得ない。たとえば、生まれれば幸せになることができたかもしれなかった人間が、生まれなかったことによって、その幸せを享受することができなくなってしまうと言えるのではないか、といったものである。端的に言うと、幸福を享受する権利の侵害、といったものである。次回は、この反論について検討することとする。

  1. あり得るとしたら、「滅亡までの過渡期において、残った人間の苦しみが現状より増大していくこと」であるが、人類の滅亡を目指すことには意味がない、と私は考えているので、やはり検討するつもりはない。 ↩︎
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