私は約40年の人生で、頭の回転が速いが頭が悪い人間をたくさん見てきた。頭の回転が速いことが頭の良いことだと思っている人も少なくないだろうから説明しよう。
AならばB
BならばC
(中略)
YならばZ
頭が良くも悪くもない普通の人間は、物を考える際に上のように順番に物を考える。
一方、頭がいい人間は、AならばEとか、天才にまで至るとAならばZ、という様に物を考える。つまり、普通の人が考える途中経過を飛ばして、瞬時に先の結論に達することができるのである。これを「直観」と言う。
頭がいい人間は、途中の論理をわざわざ意識して考える必要がない。だから頭がいい人間同士の会話は普通の人には理解できないのである。「AならばB」から始めている人が、「AならばZ」といきなり言われても理解できるはずがないのである。
また、頭がいい人間は、具体例や例えも必要としない。直観によって、抽象的な議論のまま理解することができるからである。例えば、「どんな理由があろうとも人を殺してはいけない」という主張の疑わしさを、頭がいい人間は具体例を出さずとも理解できるが、頭が良くはない人間は理解できないから、ある時は死刑や正当防衛による殺人を肯定しておきながら、また別の時には平気で先の主張をし、その矛盾に気が付かないのである。要するに、具体例や例えというものは、頭が良くはない人のためにあるものなのである。
では、頭の回転が速いとはどういうことかというと、「AならばB」という「ならば」のスピードが速いということである。スピードが速いだけなので、「Aならばα」というように間違った結論に到達することもあり、その結果「αならばア」「アならばi」というように、頭の回転が速ければ速いほどあられもない方向へと話が進んでしまうのである。頭の回転が速いが頭の悪い人間というのはこういう人間のことである。
東大でも、裁判所でも、このような人間はしばしば見てきた。このような人間は例えるならば、高速回転する、ゴミがたくさん詰まったコーヒーカップのようなものだろうか。ぐるぐるとよく回っても決してゴールに到達することはなく、その遠心力によってゴミを方々にまき散らし、ただただ周囲の人に迷惑をかけるのみである。