政治を変えたければ選挙に行け?

政治

 政治家が馬鹿ばかりだということが民衆の共通認識となって久しい。政治家が馬鹿な発言をし、その馬鹿な発言について言い訳をし、最終的にその馬鹿な発言を謝罪・撤回する。そしてこの一連の行為に対して税金から多額の報酬が支払われる。優秀な人間が低賃金で、馬鹿な政治家の奴隷たる官僚などになりたがらないのは当たり前のことである1。 

 政治がこのような状況であるから、政治を良くしなければならないのは当然のことである。「政治を変えたければ選挙に行け」という主張を頻繁に見かける。有識者のコメントでもそうであるし、ネットニュースのコメント欄でもインテリぶった者の主張はほぼ100パーセントこのようなものしか見かけることがない。だが、この主張が誤りなのは明らかである。

 立候補している者が全員馬鹿である場合、一体誰に投票したら政治が良くなるというのであろうか?選挙に行くことによって政治が良くなるのは、立候補している者の中に優秀な人間(少なくとも馬鹿ではない人間)がいる場合のみであることは議論の余地がない。それなのに、なぜ選挙に行けば政治が良くなると思い込んでいる人間ばかりなのか、私は常々疑問に思っている。立候補者の中に、次のマニフェストを掲げている者がいたら私は選挙に行くが、そのような者はいないので、私は選挙に行かない。行っても無駄だからである2

①安楽死制度の導入

②死刑制度の推進

③独身者へ地方回りと過重労働を押し付ける差別制度の根絶

④生活保護受給者は生活保護施設に居住させ、現物給付のみとすると共に、働ける者には施設内で労働させる

⑤出産罪の検討(虐待で罰する際に、不法な目的で出産したことへの加重処罰など)

 

 鋭い方はもうお気づきだろうが、結局のところ、政治を変えたければ自分が立候補するしかないのである。

 「政治を変えたければ選挙に行け」ではなく、「政治を変えたければ立候補しろ」

 これが正しい主張である。ただ私はこの国に自分の人生を犠牲にされたので、この国と国民のためにまた働いてあげる義理が一切ないから、立候補する意思はない。

  1. 私は東大卒だが、頼まれても官僚などにはならない。私より優秀な人間は大勢いるが、私程度でさえそのように思っているのであるから、官僚になる人間から東大・京大・一橋卒の者が激減しているのは当たり前である。いずれ、官僚は他に就職先の見つからない者が仕方なく就く職業となるだろう。それでも、生活保護を受けるより奴隷になることを選ぶことに私は疑問が拭えないものであるが。 ↩︎
  2. もし与党が「政権への批判を処罰する」とか、「国民の財産を没収する」というようなことを始めたらさすがに選挙に行かざるを得ないが、そのような状況ではない現況下においては、どの政党が与党になろうとも「似たり寄ったり」か「現況の方がマシ」というものである。 ↩︎
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